太古の記憶、男のロマン!(前編)
我々が生活をしている長野県池田町は、かつて、千国街道(通称、塩の道)の宿場町として栄えた歴史を持っている。塩の道とは、塩や海産物を内陸に運ぶ主要なルートで、生きるに欠かせない塩分を、海から山に上げていたわけだ。
上杉謙信と武田信玄の間での「敵に塩を送る」という言葉が有名だが、まさにその塩が運ばれた道こそが千国街道であり、新潟県の糸魚川市から長野県の松本市を抜け、塩尻という土地までが一般的に知られている。
みなさんもご承知の通り、塩というのは必須である。
なんの不自由もなくスーパーで塩を買い、(どちらかといえば塩分過多の状態で)のほほんと暮らしている我々だが、塩が育んだ町で生活している身としては、どうしても自らの起源を知りたくなるのは、男のロマンである。
怠惰と共に歩んだ平成が終わり、令和の幕が開いたこの夏、われわれは、塩をつくりに行くことを固く決意した。むかしと同じように...
それは、知の探求、経験の蓄積、男のロマンである。
これは、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂なやつでしかしないこと、すなわち男のロマンを追いかけた、ひと夏の記憶である。
しかし、塩をつくるとなれば、相当の覚悟が必要だ。
荒波の日本海の海水をすくい上げ、水分をとばすと、残った結晶が塩である。
ふんどし一丁の男が、桶で何度も何度も海岸に海水を撒く姿をテレビジョンでみたことがある。
ふんどしかぁ~。
軟弱な平成の世で育った我々には、ふんどしを回すガッツがある者はおらず、代わりになるかわからなかったが、日焼け止めクリームを入手することでおちついた。
問題はどうやら、それだけではないようだ。
お気づきかもしれないが、水分をとばすためには相当な時間がかかる。自分の時間を切り売りしてお金に変えているサラリーマン集団の我々には最大の障壁である。
正直、諦めかけた。諦めかけた、その時である。
なんと、台風6号が接近しているというニュースが飛び込んできた!
やれやれ、泣きっ面に蜂とはこのことだが、台風という大義名分があれば、中止になっても堂々と胸を張れる。
ただ、おそらく参加するメンバーはやる気に満ち溢れ、どんな苦行、苦難に苛まれようとも塩を作ると決意し、兜の緒を締めているに違いない。
以下は、メンバーとのやりとりである。
「海が台風とか、今日の雨とかで荒れてるようなら辞めた方がいいとおもうのですが、どうでしょうか?」
「台風次第だね。朝になっても抜けきってなくて、警報などでてるようなら中止にしましょう!」
「おけーじゃぁそれで!!とりあえず帰ったら、いつも見てる波の情報とかのサイトあるからそれで予報見てみるねー。それであきらかにやばそーなら今夜のうちに中止決めちゃってもいいかもねー。確かにこれだけ降ってるから明日荒れてなくても濁ってたりして海茶色かったりする可能性もあったりするからー。」
うむ、冷静だ。
これぞ、大人の対応である。別にやらなくても誰も困らないことを盾に怠惰という魔物がいつの間にか我々の心を巣食っていた。
冷静と情熱のあいだでもがきながら、翌日の天気にすべてを委ねて、寝床についた。
(あ~ぁ、これで明日はゆっくりできるぞぉ~♬)
(チュンチュン♪)(チュンチュン♪)
なんと、晴れてしまった。
やらざるをえない!一度鞘に戻した刀をもう一度抜くなどということは武士にあるまじき行為だったが、仕方なかった。武士じゃないけど。
しかし、我々に時間がないことに、変わりはない。
やむ無し!
そこで、移動には車、塩の製造工程にはガスという文明の力で切り抜けることにした。こんなに楽をするとは、自分でも信じられないし、武士だったら切腹もんだけど、武士じゃないし、令和の世では問題ない。
まぁ、昔だって、馬とか使ってただろうし、その時代に車があれば使っていたに違いない。
さぁ、準備は整った。
カニ食いに、しゅっぱつだーーーっ!!
(後編へつづく)